幼稚園は何の迷いもなく、二人の姉が通った幼稚園を選びました。入園式の翌日、母が一緒にバスに乗らないとわかった途端、大暴れして泣き出し、それから一週間位は、バスが迎えに来た途端走って家に帰ろうとしたりして、無理矢理バスに押し込む日が続きました。それが辛くて「まだ集団生活は無理だったんだ」と思い、辞めさせようかと悩みましたが、給食と午後保育が始まる日から、なぜかあっさりと嫌がらずに行くようになり、それなりに幼稚園でも楽しんでいる様子が見られるようになりました。
なんとなく「おかしいなぁ?」と思いながらも診断もされておらず、親も何の認識もない状態でしたが、幼稚園の方では全く支障なく受け入れていただけました。言葉もほとんど出ていない時に、本当に一人では何もできないまま入れてしまったので、幼稚園で困っているだろうと心配していたのですが、靴が履きかえられないことや、トイレに行きたいことなどを、先生の手を引っ張って教えた(いわゆる“クレーン”)そうです。
同世代の子供たちとのふれあいがとても良い刺激になって、家ではどれだけ教えてもダメだったのに、いつの間にか「おとうさん」「おかあさん」と言うようになり、トイレに一人で行き、ズボンを一人ではき、靴も脱ぐだけならできるようになっていました。
親としては、ただ家で心配ばかりしているよりは、子供の園での生活に自分も入っていこうと思い、PTA役員を引き受けました。先生方とより親密な情報交換もできるし、役員の仕事と言う名目で園を頻繁に訪れることもでき、結局息子が通う三年間役員をしましたが、とても良かったと思っています。息子のことばかりでなく、自分にとっても良い経験として後々残るものがたくさんありました。
運動会や表現会などの行事に上手く参加できなかったり、自分の教室には居なくて一つ上のクラスの教室へ行ってしまうことや、友達とのトラブルなど、いろいろな問題が常にありました。そんな時、先生方は息子を責めるのではなく、問題の原因を探り、自分たちの対応を変えようとしてくれました。行事への参加は、無理強いするのではなく、どうやったら息子の興味が出て参加しやすくなるかを考えてくれました。上のクラスに居る事も、きっと息子も居心地が良いからだろうし、子供たちも認めてくれているから大丈夫ということで、でも朝や帰りの時・給食の時間などクラスでの活動の時には声をかけて、しっかり自分のクラスに戻ってくることを促してくれました。また、トラブルはそれだけ他の子との関わりが増えた証拠だと、歓迎してくれる位でした。
その頃は誰も息子が自閉症であることを知らず、親も手探り状態の子育てでしたが、幼稚園の先生方から“子供の心に沿う”ことを学び、息子が最初に経験した社会がその幼稚園だったからこそ、今の私たちがここにいると思っています。
何も知識がない時でしたが、とても恵まれた環境で育つことができました。
その頃の私と先生方との合言葉は、「半年・1年先を思って『こうなって欲しい』を考えると辛くなるから、5年・10年先を考えていきましょう。できないことを数えないで、できるようになったことを数えましょう。」でした。
こんな風に育てられたことを心から感謝しています。
そして、その幼稚園と先生方とは今でも度々連絡を取り合って、息子を見守っていただいています。