その後の小学校生活は、快適でした!
3年生の特学の担任は、1年時の先生にまた戻してもらえました。それから卒業までは、特学に限らず交流学級の先生にも恵まれ、“人もうらやむラインナップ”で、気持ちも力もある先生に担任してもらえました。それはきっと、「これ以上とやかく言われたらたまらん!」と、学校側の配慮(?)だと、勝手に解釈しています。
そんな先生方のおかげで、息子はすくすくと成長してくれました。
“できること”はどんどん増えていきました。でも、その分“できないこと”が目立ってきました。障碍のために“できないこと”“できるようになるのが難しいこと”。親は割り切っているものの、周囲から見れば「どうして?」と聞かれることも多くなりました。
そこで、診断名がはっきりしていない為に、親もはっきり「自閉症」と言い切れないものがありました。そんな気持ちをどこかで抱えながら、いろんな人に相談もしてみました。
それまで、息子と深く関わってくれた人たちの意見は、なぜか一致していました。「KちゃんはKちゃんで良いような気がする。変に診断名が付くと、Kちゃんでなくなるような気もする。」そうかぁ・・・確かに本人も私も診断自体を必要とはしていないのです。
多分、私が診断をもらおうと決心したのは、4年生の特学の先生のおかげだと思います。その先生は、特学の担任をするのは初めてで、息子のことでわからないことがあれば、私に何でも聞いてくださり、ご自身でも講演会や勉強会に足を運んでくださいました。そんな先生を見ていて、私ももっと勉強しなくては・・・と思いました。
そして、その年の秋、いしかわTEACCHプログラム研究会が月1回の定例会を始める第1回に、事例検討で話をさせていただき、その時に診断のこともお聞きしました。ある保護者の方が、「自分の子が何者かもわからずに育てることは恐くてできない」と言われました。でも、それは私にはありません。「自分の子は目の前にいる息子!」その事実だけで充分でした。
ある小児科の先生から、「診断をもらうメリットとデメリットは両方ある。でも、社会的な保障を受けるためには診断は必要。それには、成長の過程も重要視されるので、今からもらった方が良い」と言われたのに、一番心を動かされました。
その頃、障碍のためにどうしても“できないこと”があることを痛感していたので、将来、社会的保障は絶対に必要になると思っていた時でした。その年の暮れに、晴れて『知的な遅れを伴う典型的な自閉症』だと診断をもらいました。
初めて息子が『自閉症』かもしれないと知らされ、涙にくれた日から6年・・・この年月は決して無駄ではなく、共に歩いてきた日々が間違いなく私を強く賢くしてくれていました。この時の診断は、どちらかと言うと私の気持ちに踏ん切りをつけ、新しい一歩を踏み出す勇気を与えてくれるものでした。
それまで、多くの方々に支えられてやって来れたことを、心から感謝しました。
ふぅ~、やっと診断をもらいました!
読みながらイライラされた方も多かったのでは???
私たち親子は、本当に“人”に恵まれています。
きっと、多くの自閉っ子の親子が味わっているであろう辛い思いは、そんなにした記憶がありません。
だからこそ、診断も必要としなかったのかもしれません。