さて、診断までの道のりはいよいよ小学校に入ってからのお話です。
本当にいろんなことがありました。
入学から診断までの間に、一番変わったのは私かもしれません。
小学校1年生。特学の担任になってくださったのは、大学で障害児教育を学び、養護学校の経験もあるという先生に決まりました。一年の最後に息子との学校生活を本にまとめてくださるくらい、それはそれはパワフルな先生でした。専門的な知識を持った先生と初めて出会ったことももちろんですが、これまでの息子の育ち方や我が家の考え方を全て受け入れてくださり、私は紛れもなく「運命の出会い」だったと信じています。
その1年間は、まるで息子と先生がシンクロしているような、とても喜ばしい状況で過ごしました。水を得た魚のように生き生きと成長していく子供を見るのが、楽しくて嬉しくて、あっという間の1年でした。入学前に心配しすぎた反動なのか、すっかり安心してこのまま6年間がすぎるものだと思ってしまい、私はその間ほとんど何もせずに過ごしていたと思います。
ところが2年生になって担任が変わり、状況が一変しました。息子が別人のように、落ち着いていられなくなりました。一番ショックだったのは、特学での個別の授業が全く成り立っていないことでした。二人の先生(特学と交流)と私の考え方が合わないこともあり、いろいろと手を打ってみたものの、全く改善される様子はありませんでした。そして、先生達との直接対決!家の玄関で言い争いになってしまいました。恐くて震えながら応対しましたが、この時の恐怖は今でもトラウマになって残っています。
それから数日後、とうとう息子は学校へ行けなくなりました。おそらく、私と先生達との話を聞いてしまったからです。約1ヶ月半、週末になると登校拒否をするようになりました。これはもう何とかしなくてはいけないと、1年生の時の先生や市教委の先生を巻き込んでしまいましたが、おかげで少しずつ良い方向に動き出してくれました。
この時の話をすると、私自身がとても感情的になってしまい、また個人攻撃のようにもなるので、詳しくは書けません。とても辛い経験でしたが、私はそれをきっかけに変わることができました。こんな状況になってしまったのは、私が息子の障碍のことをよく知らないことが原因の一つです。私自身が息子のことを、障碍の説明も含めて、私の言葉で話せるようにならなければいけないと思いました。それから少しずつ、自閉症の講演会に出かけたり、本を読んだりと、勉強を始めたのでした。
(この話の詳細は『現実とのギャップ』に掲載しました。)
“つみきの会”ができたのもこの頃です。
それまでは、単に子供たちの母だったのに、自閉っ子の母になったのがこの時期なのかもしれません。
それでも、まだ正式な診断はもらっていない・・・不思議ですね。
この頃我が家では、息子の障碍を自閉症と言わず、『自開症』とか『明るい自閉症』と言っていました。
実にそれがピッタリなのですが、どこかでなんだかすっきりしない、モヤモヤした気持ちがあったのも事実です。