「子供のため」は誰のため?

少し前に書いた「あんな大人になって欲しくない」と思った障碍者像は、一昔前は美しい親子愛だったのかもしれません。
でも、、、
 自分では何も決められない。
 自分の意志で動けない。
 親と一緒じゃないとどこにも行けない。
 親の言うとおりにしかできない。
そして、親は死ぬまで大人になった(おじさんおばさんになった)子供の心配をして、自分より大きくなった子供を抱えて、自分の人生の全てを捧げて生きていく。
 生んだ親の責任だから?
 そんなことあるわけない!
例えば、、、働く能力がある人でも、お給料の管理は親がしているのは珍しくないらしい。
どうしてかと問えば、お金の計算ができないからとか、無駄遣いさせたくないとか、きっとそんな理由だろうと思います。
でもね、自分に立場を置き換えて考えてみてください。
そんなことされて嫌じゃないでしょうか?
一生懸命働いて得たお金がいくらかも知らず、自分のお金なのに親にもらわないと使えないって、有り得なくないですか?
親の気持ちは「子供のため」だろうけど、それは社会人=大人を子ども扱いしているということです。
「人の嫌がることをしてはいけません」と子供を叱った親が、子供の嫌がることをしているということです。
障碍のある子を一生懸命育ててきて、
それに自信があるのならば、
大人になった子を信じて、大人の生活をさせてあげて欲しい(自分で決めて、結果に責任を持つ)。
もし自信がないのであれば、
親だけで抱え続けるのではなく、第三者の力を借りてください(握りしめている手を放す)。
親の「良かれと思って」は、子供にとっては「余計なお世話」なことが多いって、それは大人になった自分が一番よくわかっているはずです。